とりとめのないRX100

今日は悪い例ですよ!

写真一枚一枚はきれいに撮っていても、それをテーマに沿って並べて組み立てないと写真作品にはなりませーん、というのが、今日のとりとめのないアップを見て頂くとよくわかると思います。

20140930-_DSC9629

20141003-_DSC9692

20141007-_DSC9774

20141007-_DSC9789

20141006-_DSC9741

20141006-_DSC9759

20141006-_DSC9767

20141007-_DSC9832

20141007-_DSC9807

20141007-_DSC9809-Edit

20141006-_DSC9705

20141007-_DSC9826

我ながらアレなんですが、写真そのものは一枚一枚、きれいに撮っていると思うんです。でもバラバラでしょ。もちろんRX100で撮る! という大きなテーマは共通しているんですけども。

平成の不穏な空気……とか自分の世代の閉塞感を……とか、テーマはなんでも、ある意味でっち上げでも良いと思うんですが、写真をまとめて見せた時に何かを伝えようと思ったらすべての写真に通底するテーマが必要になってきます。

写真を人に教えると自分も考えさせられる事が沢山あるんです。

その1つが、撮った自分にとってどうかと、その写真を見る人にとってどうかって、びっくりするくらい別なんですよ。違う次元くらいの隔たりがあります。
それを知る事が初心者からの脱出☆その1って感じでしょうか。

写真を何十年もやっていながら人に見せられる写真にならないっていう方は、その「撮る私」と「写真を見る知らない誰か」が分離できていないといいますか、自分の写真を他人の目で写真が見られていないって事ですな。

自分が「分かってくれよ!」って思ったとしても、写真を見るだけの人にはなーんにも伝わらないんです、残念ながら。撮った時の気持ちとかその時の都合とか、熱が39度出ていたとかタンスの角に小指をぶつけたとか、そんなものは見る人に何も伝わらないと思った方が早いです。じゃあ伝える為にどうしたら良いんだ? って考えるのが、カメラを持って適当に撮って、それ見せれば誰もが勝手に涙しちゃうみたいな天才以外の人間がやるべきことです。

言い換えれば、それが上手い人が写真の上手い人だ、と言い換える事も出来ます。露出、ピント、機材がどうの、っていう問題はすべて「そこ」の為にやるんですよね。

まぁそんなね、私も趣味で撮っている写真をアップしているくらいなので、そんな青筋立てて「コラー!」って必要以上に真面目にやることないじゃん、と思っているクチです。でもせっかく撮るなら見せたいじゃん? 見せたら好かれたいじゃん? っていう気持ちは大体の皆さんがお持ちだと思うんです。だからこその苦言。というか自戒も含んでいます。

皆さんにより良い写真ライフが訪れますように!

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です