こんにちは。昨日撮ったD810の写真をTwitterに投稿したところ、すでにミュートしてあったらしき人から返信が来ておりました。
わたくしTwitterではコミュニケーションが成立しないなと思った方はミュートすることにしています。酷いと一旦ブロック→解除でフォローを外してもらっています。
なぜなら、ギャラが発生する場でもないのに、コミュニケーションの最低限のお作法も知らない人のリプライを読まされても全然楽しくないどころか、その日の生活が濁る気すらするからなんですよね。
コミュニケーションが成り立たないというのはどういう形かというと、まず自分の庭と相手の庭を認識出来ない人、こちらの話の流れ無視で自分のしたい話しかしない人。
庭
Twitterに限らず、さまざまなSNSでは皆さんそれぞれアカウントを取得して発言なり投稿なりすることになります。
そしてどのシステムでも文字ベースのものであれば、誰かがした発言に対してそのまま返信することができたり、元の発言を引用して自分のアカウントで「私はこう思う」というのを投稿したりできます。
Twitterでは最初の発言(ツイート)に対して返信をするのをリプ(リプライ)と呼んでおりまして、自分のアカウントで引用&ぶら下げて発言するのをリツイート(RT)と呼んでおります。
リツイートは、自分をフォローしてくれているユーザー、つまり自分の知人に対して「こういうことを言っている人がいてさー」というふうに紹介する機能でありまして、大事なのは自分の庭で発言している、ということであります。
リツイートは表現の自由がありますから、まあおよそどんな発言であれお好きにそうぞ、ですね。たとえアンチ活動をしている人間であってもそこは変わりません。法に触れない限りはですけどね。
そもそもSNSに慣れていない人の中には、元の発言に対して返信するのと、リツイートもしくはシェアして自分のアカウントで引用することの違いが分からない人というのがいまして、これはデジタル文書で改行する意味が分からない人と同様、深い断絶と苛立ちを生んでおります。
何か発言をする際に、発言している場所が自分の庭なのか、それとも元の発言者の庭なのか。これは大きな違いです。まずこれを認識するのが第一点。
カメラの話かよ
次に、私が写真をアップした際にうんざりするのは、「こんなカメラで撮ったよー」というキャプションを付けたとしても、撮ってアップして、他の人とコミュニケーションをとる手段として採用しているのは写真であります。
つまり、写真の話をしようぜということなんですね。そこに機材の話が付随するのはアリなんだけど、中心は写真でないとダメでしょうと。
ところがTwitterなんかでは、写真の内容について云々できないので、カメラの話だけいきなりリプライしてくるおっさんというのがまあたくさんいます。
こっちはカメラの話はしてねえんだよ、カメラでどういう写真が撮れるかっていう写真の話をしているんだよ、と思うんでありますが、人によってはカメラの型番を投げ合うことがコミュニケーションだと思いこんでいるようでありまして、それではごく少数のカメラオタク同士でしか会話が成立しません。
考えてみればNikon D750を使っています、という自己紹介が「D750を使うような人なんだな」という情報になるので、ある意味ではコミュニケーションにならないこともないのですが、そういうのってオタク同士でしか通じないでしょ。
分かるんですよ、スタートレックはどのシリーズがお好きですか? って聞かれて「DS9」って答えると「あー・・・」っていう反応をされたりして、ある種のコミュニケーションが成立しちゃう場もあります。皆さんもそれぞれのカメラ以外の趣味の領域でそういう風に理解しちゃう、コミュニケーションが成立しちゃうことって経験されていると思います。
しかし人が写真の話をしようとしているところにカメラの型番を投げてくるのは完全にディスコミュニケーションでありまして、それってモテない原因の一番だと思うんですよ。正確にはモテなさが一番現れちゃう部分といいますか。
ここでのモテは女性からのモテに限らず、男性も含む老若男女、コミュニケーションをちゃんと成立させられるかどうかという感じ。
ディスコミュニケーション
ポトレ写真であれば女子が可愛いかどうかだけの話であったりというというところに話が終始するのはアリだと思いますが、カメラの話レンズの話で終わるのはナシ、と思います。もちろん会話しているメンバーにもよりますけどね。
女子が写っている写真があります。それを見た時に、情報としては色々ありますよね。
- 女子そのものに対する興味
- 女子だ
- ばらちゃんだ
- ばらちゃん可愛い
- 着物着とらっせる
- ばらちゃんいくつになったんだっけ
- 前髪えらい短いなあ
- 写真そのものに対して
- 黄色いなあ
- グロッシーだなあ
- 女性が一人でお団子・・・何を意味しているんだろうか
- 茶店の看板娘とかそういうメタファーなんだろうか
- 構図が三角形だなあ
- カメラ関係
- つるっとした色調、どんなカメラレンズなんだろう
- RAW現像はどうやっているんだろう
- フォトショでのレタッチはどれくらい
- どんなライティングしてるんだろう
という風に、人は一枚の写真からいろんな情報を引き出せますし、こうして引き出せる情報が多いほど、考えることが多いほど写真に対して豊かであるといえるんじゃないでしょうか。コミュニケーションの理想の形は、こうして引き出せる情報が豊かであり、かつコミュニケーションに参加するメンバーの間で共通の部分と、同時に意外性のある部分があり、それを交換できることだと思います。
ただ、一枚の写真について、言語化しないまでも感じる部分が多いというのは、特に美術だの文化だのに造詣が深くない我々ただのおっさんの場合、本人の写真を見るトレーニングに依存する部分が大きいんであります。
写真が撮れなくても「なんとなく上手いなあ」みたいに感じてもらえる部分があるだけで撮る側としては嬉しいっちゃ嬉しいですし、写真を撮らない人であっても「女の子が可愛いなあ」と伝わればそれはそれで写真の機能としては最低限成立しているわけで、問題ないといえば問題ありません。
虎の穴の中では、もちろん写真を撮る人間が集まっていますから、話題が技術寄りになってしまうのは仕方がありません。
しかし、互いに写真を投げ合って行く中で、写真を撮った人がどういう意図を込めたのかを読み取り、それを撮った人に投げる訓練が大切だと考えています。
なぜなら、他人の写真から読み取る努力を正しく続けていけば、今度は自分が撮る側に回った時に引き出しが増やせるだけでなく、そもそも「他人が見るんだから意図が読み取れるようにしないとな」と留意して撮る癖がつくんですね。
それが撮る時にないんだとすれば、それはコミュニケーションのために撮っている写真ではありません。ただひたすら個人の快楽のために撮り散らかし、それを他人に押し付けているだけに過ぎません。
振り返って
さて、冒頭のTwitterでのリプライの件に戻ります。
私が写真を投げたら、「私はこんなカメラを使っておりまして」というリプライが飛んできました。それに一体どんなコミュニケーションがあるんでしょうか?
私は見知らぬおっさんがどんなカメラを使っていようが知ったことではありません。そういう興味って、その人が撮っている写真に興味を持ってから抱くものでしょ。
また写真の内容に一切言及せず、いきなり型番&自分語りというのは私が写真に込めた意図や技術を一切読み取っていないということ。
以前もそういうリプライをしてきたのでミュートしていたのですが、今回は二人連続でミュートしていた人がほとんど同じ内容の型番&自分語りリプライをしてきたので、虎の穴の皆さんには 是非 反面教師にしていただいて、SNSでもモテて欲しいという思いからこんなブログを書いている次第であります。
女性に置き換えてみたら
一番簡単なのは、女性に置き換えてみることだと思うんですよ。私たちただのおっさんからしたら、女性は一番身近な宇宙人みたいなものです。違う惑星に生きている感じ。女性会員の皆さんには申し訳ないのですが、それくらい縁遠い感じがするときがあるんです。
もちろん女性から見たおっさんも「なんだこいつらは」と思われて仕方がないよね、と思うことが多々あります。もちろん「人間だもん」という共通の部分もたくさんあるんですが。
女性がいます。その人とどうコミュニケーションするべきか?
一番の正解は「ふーん」と眺めて一切コミュニケーションを取らないことだったりしますが、何かしら関係を築かねばならない時はそうも行きません。
写真関係のコミュニケーションを参照して考えた時、いきなり自分の話をしますか? しても初対面の相手が自分に興味を持っているわけがないと思った方が良いでしょう。
つまり自分語りは相手から尋ねられて初めてするものです。だって興味がない人の自分語りを聞くのって、普通はお金をもらってやることですよ。最近は自粛中ですが、夜のお店に行って聞いてもらうものです。だからああいう商売はなくならないんです。だって普通の人は知らない人の自分語りなんて聞きたくありませんから。
では次に、その人を褒めなければならないとして、どこを褒めるべきでしょうか?
褒めるのはある意味なんでも良いと思うんです。褒め方にもよりますが、褒められて不愉快な人というのはあんまりいません。例外は褒め方が気持ち悪い場合くらいなものです。
細い話をすると、その人が生来持っている「美人」とかいう部分よりも、その人が選択したことを褒めよう、というようなテクニックもあるのですが、私はめんどくさいので美人だと思ったら「美人だね! すごいね! 希少種!」とストレートに褒めます。それで痛い目にあった事がないので褒め方がダメでないんだろうと勝手に思っていますが、とりあえず皆さんはいきなり真似しないほうが良いでしょう。
何はともあれ、この段階を写真というかカメラでのコミュニケーションに置き換えてみると、美人は美人を美人たらしめている何かしらの選択とアクションがあるはずなんですよね。
そりゃもちろんベースが美人なら美人なんですが、ほら芝居でよく「よく見ると美人じゃないけど美人という役をやっている人」っていますでしょ。あれ記号としての美人ですから、美人に見えるんだとすればそういった装置として舞台のあれこれが上手く機能しているんです。
マッチョじゃないのにマッチョ役とか、そういうことは記号でありお約束ですよね。
そういった部分を拾い上げて「よっ! 美人になってる!」と褒める気持ちって意外と大切じゃないの、と思ったり、実際にそういう角度から褒めて「そうなのよ!」と喜ばれたりすることもあるんですが、私が写真を投げたのに対して、「写真が良い感じに見えるのは、これをこうしているからですね? やるなあ」なんて褒められたら嬉しくてしょうがないですね。皆さんもそうでしょう。
これは逆にいえば、舞台上のそう美人でない人が美人役を成立させている理由を拾い上げて褒めることにほかならず、かなり高度な技術が必要ですし、それにはかなり芝居を見慣れていないといけません。
へー美人だー、で済ませてもらっているのが現在の虎の穴のコミュニケーションでありますが、それでは自分が撮りたいものを撮って投げつけあっているだけに過ぎず、コミュニケーションがまだちょっと成立していないんですよね。
ですから、是非とも皆さん、互いをけなす必要はありません。
褒めのレベルを一つ高めていきましょう。
上手い人ほど褒めるのも上手いです。なぜならやり方を知っているから。そこを目指しましょう。
それではまた!