デメリットが全く無いとは言い切れない

 おはようございます。

 冬が近づくと気が滅入ることが増える人は多いんじゃないでしょうか。私もここ数日、どろーんとした気持ちで過ごしておりまして、何をしても楽しくないなあ、という感じ。たまにそういう期間があるのは仕方がありません。暖かくしてのんびり過ごすのがベストですね。あとバナナを食べましょう。

 TwitterなどSNSで、以前から極端なフェミニストの人たちが、性的な表現の含まれた萌え絵を公共の場に出すのは許せない、というのであちこちのPRに採用された萌え絵を叩いて回っています。

 私自身萌え絵PRは好きではありませんが、彼女たちの意見を見に行ってみますと、たしかに女性が一方的に性的搾取されてきたのは確かで、彼女たち自身が生身で被害者である経験上、アレルギー的な反応を起こすのもいたしかたないな、と思うところはあります。

 しかし権利としてどこまで認めるかは社会全体で相談して決めなければならず、またヒステリックな反応をするからといって批判された側がビビり過ぎると同和の利権と同じになってしまうのでまずいよね、と思いつつ、そのラジカルなフェミニストたちに糾弾される萌え絵信奉者すなわちオタク諸氏からの反論、反撃もまた極端なものが多いので、どちらにもさして熱心さを持たない私のような人間は「はー」と傍観するしかありません。

 ただ、これを写真の世界に置き換えてみると、スナップ町撮り人間入り問題と似たようなもんだわな、という感じがします。

煽られる人が多い

 反ワクチン、反マスクに系統する人も実は大多数が似たようなもので、「実際に確率はものすごく低いんだけどデメリットがありそうだ、ということを煽り立ててメシを食う奴がいる」「それに煽られて、ほぼありもしない不安で心がかき乱される心の弱い人がいる」「そして真っ当なラインで活動している人が糾弾されて酷い目に遭う」という形、もう最近は固定化していますよね。反原発というか放射能恐怖症も一緒。

 むしろこの形はインターネットがあるおかげで、旧来メディアがこっそりと火を点けて回っていたものが可視化され、構造が見えるようになった部分は大きく、インターネットの信奉者である私からすると世の中の風通しが良くなって、松本サリン事件の河野さんのような人が減らせるので素晴らしいこと、と思っていますが、インターネットがあるおかげでデジタル写真がやりづらい部分もあるよなあ、と思います。

 写真をさきほどのパターンにあてはめてみると、

  • スナップ写真に写り込むことでデメリットがあるんでは!?
  • 我が子は絶対に撮らせない!
  • スナップ写真を撮る人間を攻撃する

 こういう人が実際にいますからね。盗撮でないものを盗撮と呼んで非難するようになったら、立派なラジカル反スナップ写真活動家という風に思いますが、スナップ写真をやる人たちはかの有名なタツオさんを始め、アンダーグラウンドで後ろ暗い感じの人ばかりなので、正々堂々と「撮ります! だって文化だもん!」とやれません。そこがまた厳しいポイントと思います。それ以外の賢い人は「いけない」ところを撮ろうとせず、しかし粛々と撮りためていることでしょう。

 たしかに写真に写り込むことのデメリットもあるにはあると思うんですね。ものっすごく確率は低いですが。

 たとえば競輪場やなんかは場内で写真を撮るのが許されていないだかなんだかで、理由が「会社をさぼって賭け事しに来ているのがバレると嫌がる奴がいる」から、というのを聞いたことがあります。場内は管理権が及ぶので、制定されているルールには従わなければならなりません。私も当然従います。

 しかしそこを拡大解釈して、競輪場の周りでスナップ写真を撮るのも禁止、と言い出す人がいたとしたら、そこは写真を撮る側が権利を盾に戦わなければならなくなります。

 もちろん競輪場の周囲にいる警備員たちもそのあたりは法的に規制しようがないのは分かっていますから、こちらがカメラを持っていても、敷地内に入って撮らない限りなにも言ってきませんが、写真を撮ること自体を規制したがる人というのはどこにでもいます。

 元来、写真に写り込むのを嫌がるのは、非合法な活動をしている歌舞伎町の客引き及びそれの後援をしているヤクザくらいのものでしたが、最近は「ほぼない」デメリットを数万倍にも膨らませて不安になっちゃう人が多く、その「不安であること」を武器に写真を撮ることを規制しようとし、また彼ら彼女たちも自己顕示欲で「こんなことをした、ここへ行った」と自らのアクティビティを自慢したがる割に、自分の顔や写り込んだ人の顔にモザイクをかけてSNSへ流すという倒錯した振る舞いを見せます。ありゃ一体なんだ、見せたくないなら写さなきゃ良いじゃん醜いなあ、と正直思ったりいたしますが、日本は社会全体がデータよりお気持ちに最優先で配慮してしまう風習があるので、この流れは止まらないと思います。

ガリガリはいいよお……文句言わないから

私の場合

 私の場合どうしているかというと、1人を狙ったストリートスナップは国内ではもう撮りません。

 1人を狙って写して写真として成立する強度を持った個人がまずいないというのと、そうして撮った写真をSNSで「どや」と自慢して写真家さんとして有名になって……みたいなところに興味がないからです。もちろん揉めてもめんどくさいですしね。

 ましてや子供はストリートスナップとして撮っても写真として使いみちがなく、ほぼありもしないデメリットで不安になる親御さんをさらに不安にしても可哀想なので撮りません。ですからまとめると「撮ってもしゃあないから撮らない」という形です。

 また、タツオさんをはじめとするストリートスナップ系写真家さんたちが、わざわざやばそうな(反社会的という意味ではなく社会の端っこに追いやられたような)人を狙って撮って喜んでいるのを見て、同じになりたくないなあ、と思う気持ちも強いですね。

 写真家として大上段からぶった斬るのであれば、現代の日本人はありもしないデメリットに怯えるおかげで写真家がのびのびと社会を撮ることを拒否しているわけで、2021年の記録がしょうもないスマホ写真しか残らないことを甘受することを選択した、と言うことも出来ます。デメリットを極端に大きく見積もる権利があるなら、こうして写真サイドだけの意見を述べることも可能です。

 ただ、こうしたことをことさらにがなりたてても社会が良くなることはありませんし、手負いの獣みたいになっている不安な人の不安をさらに煽り立てても良くありませんから、明確に違うことに対してだけ「違いますね」と述べるに留めていますけどね。

 まあそのあたりも、コスプレ界隈の写真権利問題のように、権利を持っている側が勝手にどんどんへりくだって権利を放棄しまくり、そこで変な常識ができちゃう界隈もあるので注意は必要と思うのですが。

 権利は獲得するのは大変なのに手放すのは一瞬なので、「撮る権利」は一定以上踏み込まれた時には持ち出すしかないのですが、そういったことを言い出すと、写真を撮っている人間から揶揄されて驚くこともあります。揶揄する当人が権利を手放すのは勝手といえば勝手なのですが、その人の周囲の人たちは、写真を撮る人間全員がその権利を手放したと見なすので、まずいんですよね。是非とも大局に立ってものを見て欲しいなと思ったりなんかしております。またそういう揶揄するような人って、自分が現在手にしている権利は先人さんたちが戦って手に入れてくれた、というのを知らなかったりして、そのあたりは写真教育の問題だな、と思います。そういった点も含め、「押すだけでは写真にならない」んでしょうね。

でも全部撮る

 1人を狙ってのストリートスナップはまずやらなくなりましたが、それでもなんだかんだ延々と撮り続けているのは確かでして、やはり街角にいる人というのは魅力的な被写体になることも多いです。

 なんとか上手いこと、トラブルを避け、写り込む人にも可能であれば楽しんでもらいつつ撮り続けることができたらなあ、と思いますし、こういったバランスは我々一人一人が考えて決めていくものと思います。法的にどうかは、最後の問題ですね。

 というわけで今日もパチパチ撮りましょう……あなかしこ、あなかしこ

どうも管理人です! プロフィールが新しくなりました。項目ざくざくご入力くださいね~
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