写真とプロット

 おはようございます。今日は昼過ぎから常滑の市民プールが開くので、トレーナー氏と一緒に泳ぎに行く予定です。湿度が高く雨が予想されており軽くぐったりしていますが、これがプールという湿度100%の環境に行くとどう変化するのか楽しみにしています。

さて

 SNSとくにnoteやなんかで超短編の小説シリーズをアップしていこうかなあ、と思っておりまして、そのために1000~2000文字程度の、ショートショートよりもさらに短いようなものを書いてみているのですが(ショートショートは3000文字、短編は6000文字くらいが指標のようです)、そのネタ作りのために、世の中のあれこれを逆転させる発想法がだんだん身についてきました。

 例えば以前ジャーナルブログに書いたのですが、常滑では海岸にいても丘に登っても、そこらじゅうから中部国際空港セントレアの管制塔が見えるのですが、これは発想を逆転させると常に管制塔から見られているということも出来ますから、それをパラノイアの物語にすることが出来ます。

 なるほど物語というのはこうやって通常とは逆のプロセスで作り出すこともあるんだなあ、と子供のように楽しんでいるところがあり、すべての物語は実録であれ、このあたりでクライマックスだから序盤はここから始めよう、という感じで設計図が必要です。プロットというやつですね。

 たとえば映画スター・ウォーズは神話から影響を受けて作られたという話ですが、お話のスタートはレジスタンスが強大な帝国軍に攻撃され、レイア姫がオビワン・ケノービという旧知の賢者に最後の希望を託して……という直接主人公の描写がないところから話が始まり、舞台は辺境のタトゥイーンに移って主人公のルーク・スカイウォーカーが登場し、そこからは若者の成長に仲間との出会い、そして大きなものを背負っての死闘から出自の秘密が明らかになってみたいなことと絡めつつ上手いこと物語が進行していきます。

 どうも英語圏を見渡してみると、物語の構造に興味を持つ人が多いらしく、スター・ウォーズくらい有名になると日本語でもこうして全セリフを掲載している人がいたりなんかしますが、これ英語圏の文化の影響ですね。日本語だとそうそうありません。

 イギリスはシェイクスピアをやたらと引用したりする文化があり、どうも物語というものに対して我々日本人と違った感性を持っているらしい、というのが感じられるところですが、これも写真と大いに影響があるのだろうなと思います。

組写真

 写真で物語といえば、そう、組写真です。

 写真は単発で、1枚だけドーンと見せても良いのですが、ほとんどの場合、写真は音楽でいうアルバムのように、数点組になってようやく強度が出てくるところがあります。1カットはインパクト勝負、組み写真は物語勝負といったところでしょうか。

何年か前に大阪で撮った写真

 現代はSNSごとに掲載可能な枚数が違い、たとえば旧Twitterでは4枚、インスタでは10枚だったかな? これ中国版Twitterの微博だと15枚とかなんとか聞いたことがあります。多ければ良いってもんでもないのですが、組写真としては掲載枚数が多い方が、そこから少なく載せることは出来るので選択肢が広いということはいえるんでしょうね。

 この複数枚の写真で見せるのがわたくし大変苦手でありまして、おそらく図鑑写真系の感性を持っている方は同様に苦手な方が多いんじゃないでしょうか。

 なんでかというと、私がいみじくも小説書きチャレンジを開始してようやく物語の構造というものを考えるようになったのと同じように、普段から物語を自分で作ることを考えずに生きているからではないかと思います。

 何かを説明したり、もっといえば売りつけたりするために物語の力が有効というのは昔から言われておりまして、パッと思い出されるのはヴェルタース・オリジナルみたいな物語風の広告ですね。

 そこまではまあ皆さん納得されると思うのですが、じゃあ自分が誰かを納得させるために物語を作らなければならないのだとしたら、となると非常にハードルが高く感じます。

 私たち図鑑脳の人間は、ただ家から出て家に戻るまでに「あ、いいね」と撮ったものを並べれば物語になると思いがちですが、それは1カットについても「ただ押せば写る」と言っているのと同じで、もっと起伏を付けないと人には伝わらないのだろうなあ、組み写真が上手い人はそこでいわばドラマタイズする、脚色したり演劇的にしたりすることが求められるのだろうと思いますし、その際には小説のプロットを作る時のような発想の転換が必要になるのかもしれないな、と改めて思います。

 つまり、これが伝えたい、という中心の部分を先に設定し、それに必要な流れを想定し、そこに必要なパーツを集めてはめ込んで行く、というような形です。写真はドキュメンタリー性が高いので思うように素材が作れないといいますか、ドキュメンタリーは作っちゃダメなので上記のような物語作りの手法がそのまま当てはまるわけではありませんが、発想としては似たようなものなのだろうなと思います。

 だからこそドキュメンタリーとかルポルタージュみたいに嘘はダメというものであっても、作者の主観がバリバリに入るわけで、物語性というのは、先に述べたような中心に何を設定して、そのために流れとパーツを考えて、という思考法と切り離せないのだろうと思います。物語になっていないドキュメンタリーは、リアルではあっても見るのが苦痛で作品として成立しませんからね。

押せば写るの呪縛

 考えてみれば、写真を撮り始めた時の私のように、ただの田舎のボンクラあんちゃんが「押せば写る機械」を買ったことで、その後の人生に劇的な変化が訪れ、会わなかったはずの人に会い、得られなかったはずの様々な良いことを得られたのは凄いことですが、さて写真の中身を見てみるとどうかといえば、基本的なマインドとして「押せば写る」から脱していないよなあ、と思います。

 これはどちらが偉いということでもないのですが、文字通り写実的に「押せば写る」考え方と、「劇化する」ドラマタイズ発想のバランスの問題でありまして、あまりに劇的であることを求めると写実性がなくなってしまい、「そこまでやるのに写真である必要なくない?」という話になってしまうのでバランスの問題ではあります。

 撮る側のワガママとしては、押したら写った、写ったら勝手にドラマチックで見た人が勝手に感涙にむせいで俺人気者、みたいな感じがローコストで理想的なのかもしれませんが、数ある写真のバランスの中に、「どれくらい作為的にドラマ化するか」というのを見出して撮るのもたいへん結構なことと思います。

 物語化の手法を突き詰めると、虎の穴動画倉庫(チュートリアルにURL記載)にあるてるみん先生のメーキャップ講座みたいに、ナチュラルに見えるメイクが一番手が込んでいるみたいな話に繋がってくるのかもしれません。つまり物語~! ドラマ~! と劇的に感じられるように思えないドラマが一番上質ということなのかも。

 組写真というか写真組みはやろうと思えばすぐに出来るので、皆さんどんどんチャレンジしてみてくださいね。私も苦手ですが、やらないと上手くならず、上手くならないと複数の写真で自分の感動を伝えられずもったいないので、小さな機会を少しずつ捉えるようにしています。

 それではまた。

どうも管理人です! プロフィールが新しくなりました。項目ざくざくご入力くださいね~
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