おはようございます。今日はブツ撮り依頼のイメージカットしかもロケ撮りに行こうと思っとります。
ブツはクラフト作家さんみたいな方のオリジナルキャラクター(体長4cmくらい)でありまして、それを自然っぽいところにはめて撮ってちょーという依頼。
クライアントさんが参考事例で送ってきてくれた(どうも作家さんご自身が撮った?)写真が全然良い感じなので、それ使えば良いじゃんと思わなくもないのですが、せっかく仕事として振って板だていているので頑張ります。カメラマンに撮らせた方が権利関係がクリアで使いやすいというのもありますしね。そういう意味での「使いやすさ」って仕事で写真を扱う上ではかなり重要です。
写真の中身はどちらかというと、しっかりライティングしてどうこうというより、ふらふらスナップに行った中で良い感じのところがあればその小フィギュアを置いて撮るみたいのがベストかもしれないなあ、と思います。
ちょうど常滑でファインアートをやる可能性について検討しているところでして、撮りに行く場所は似たような雰囲気の場所なのでアリだなあと思っています。

さて
先日、常滑やきもの散歩道お散歩スナップワークショップの際に、仲良くしてくださっている生徒さんをたわむれに撮った写真が出てきました。当人にもお送りしつつ、背景の看板を消したらどうなのかしら……と思いまして、Lightroomの自動削除ツールを試してみたらびっくりしたのでシェアいたしましょう。


本当にびっくり!
この削除ツール、自動レタッチ的な機能なのですが、なぜレタッチなのかというと、消して欲しいものと残してほしいものの境界線を勝手に「ここっすね~上手くやっときますね~」と良い塩梅でちょちょっとやってくれちゃうんです。よく見ると髪の毛もカバンの形状も肩の形もちょっと変わってしまっているんですが、削除後の写真だけ見たらまあ分かんないですよね。善悪は別として凄いなと思います。



これまではPhotoshopを使おうが何を使おうがぜんぜん融通が利かなかったので、パスツールを使ったりあれをしたりこれをしたりで懸命に境界線を保持していたのですが、それが自動でポン。
話の通じなかったただの道具が、自律的に動ける子供くらいになってきています。凄いと同時に恐ろしいですね。写真の証拠性がどんどん削られていきます。
写真に限らず利便性と真実性って削り削られのシーソー的な関係だったりするのかもしれないなあ、と思いますが、思想に没頭するインテリ青年みたいにどちらか100%じゃなきゃ駄目だ! みたいなことは、社会人になってしばらくすると、まあないですよね。
純粋であれば正しいというのは危険な考え方で、純粋かどうかと正しいかどうかは別、というか、周辺部はグラデーションがかかりつつ、でも最終的には範囲を示さなきゃならないので「ここからここまでですね」というのが正しさで、また同時に目標として「可能な限り多数の幸福を目指しましょう」という理念と実行力が伴ってのものだよね、というのが世間に揉まれているうちに分かってくるものではないかと思います。
もちろんドキュメンタリーには足しても削っても駄目ですが、写真そのものが三次元を二次元に変換する時点で多大に演出をする余地があります。ですからドキュメンタリーにおける正しさというのは、二次元化するまでの部分は写真家の技術としてOK、それ以降は(デジタルであれば)ピクセルを動かすことはNG、というラインになっているわけで、それですら本当に純粋な意味でドキュメンタリーかというと、人によってはちょっと違うかもしれません。
こういうラインは皆で考えて作っていくものなので、皆さんも写真世界にどんどん参加してもらうと良いんではないかなと思います。どうしても写真って受動的かつスタート地点ではパーソナルなものなので一人で完結しちゃいますが、社会との関わりはなんだかんだ否応なしに発生しちゃいますからね。写真教育の場としては、一人ひとりが実はすでに写真世界に参加する成員であるのよ、というのを知らせていくのも仕事の一つじゃないかなと思ったり思わなかったりします。
それではまた。