写真の実用性と美

 こんにちは。今日はプールに行った後、常滑市内の大野町というところで大野芸術祭というイベントがあるので覗きに行ってきました。

 どうも常滑の陶芸界隈、特に陶芸研究所が武蔵野美大と縁が深いようで、ムサビ人材が多く展示しておりまして、しかしまあ現代アート作品ばかりなので素人目には「だからどうした」にしか見えないんですよね。なかなかむつかしいものがあります。

 それって素人耳にはちょっとなじまないスラッシュメタルバンドがライブハウスに出演しているようなものでありまして、メタルとかハードコアってすでにかなりハイコンテクストな領域に入ってしまっておりまして、音楽として真面目にやればやるほど、クラシックの現代音楽みたいに「これは音楽ですか?」という感じになりがち。実験音楽じみて聞こえちゃうんですね。

 ですから、素人さん向けにはもっとキャッチーな「でかい!」とか「キラキラしててきれい!」みたいのが大事だろうなと思います。大野芸術祭がそこまで到達できるかどうか、というのを、少なくともしばらくは常滑に住み続けるのでチラチラ観ていきたいところです。

自分の写真

 と同時に、彼ら現代アーティストたちが作っているのものを眺めていると、大野ではない常滑市街地で活動している陶芸家の皆さんって、たいていは急須や器なんかの実用的な陶芸をやっています。

 陶芸って面白いのは、彫刻家みたいに、そもそも全く役に立たない、ただ置いて眺めるためだけのものではなく、実用性のあるものを作ることが多く、もちろん陶芸家でも彫刻家のように実用性ゼロのものをつくる人もいるわけですが、その数はあまり多くないようです。

 私からすると、写真も実は実用性が高く、その実用性はどこに向かうかといえば、何があったかを記録し、説明するための写真だと考えています。

 つまり営業写真も商業写真でも、ただ飾るための写真を撮るのが仕事ではなく、より身近で、より写真を依頼したり受け取ったりした人に直接的なインセンティブをもたらすものが、実用的な写真なのだろうと思うんですね。

 そして、私が普段のスナップ含め撮っている写真というのは、よくよく考えてみれば、この実用性の粋を極めたい、という考え方で撮っているものでありまして、陶芸で例えるのであれば、「実用性が高いんだけど美しい急須」という感じで、決してただ飾るためだけの写真ではないんだなあ、と思います。

 オブジェであれ写真であれ、ただ飾るための写真が悪いということは全くなく、むしろ芸術世界というか美術世界では実用性があっては下世話というノリもあり、だから工芸品は「すごいんだけどちょっとね」みたいな扱いがされるわけですが、美術的な作品も、極めている人って実用領域をカバーできるくらい作品作りの精度が高かったり、耐久性をきちんと担保していたりするんですよね。それは何かのための道具ではない、という意味では実用性が低いのですが、長いこと誰かの家や庭に飾るという点で実用性が高いものを志向するのだろうなあ、責任感を持って作るとそうならざるを得ないのだろうな、と思います。

 そんなこんなで、実用性の究極といえば図鑑写真や警察の鑑識写真と思いますが、そこにも美しさの入り込む余地があろうと思いますし、私が目指している美というのはまさにそこで成立するものなんじゃないかなと思いました。「よく写っているが、それはただ写っているだけで美しくない」というのでは許せないんですよね。

 娯楽全般、実用性がないからこそカッコいいもの、面白いものも沢山あるのですが、実用性とのバランスで考えてみるのも面白いと思います。

 それではまた。

なのでこういう実用性ゼロの写真が本当に趣味という感じがしています。
どうも管理人です! プロフィールが新しくなりました。項目ざくざくご入力くださいね~
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